夏祭り summer festival 2003 7 26
不景気になった時、公共事業を打ち出し、景気回復を図ったことが、
悪のように言われているが、全部が悪であったわけではない。
この政策は、緊急避難的な政策としては、有効である。
では、どこが悪であったか。
この政策は、あくまでも緊急避難的な政策であって、いつまでも続ける政策ではない。
景気回復したら、この政策を実行するために作った舞台装置を解体すべきであった。
この舞台装置は、景気回復という目的が達成したので、解体すべきであった。
しかし、解体しなかった。ここが悪なのである。
これは、官僚が悪いのではない。
官僚は、一度獲得した予算や組織を削られると、失点とされた時代があったのです。
だから、官僚は、自ら、不要となった組織、制度、予算を解体できないのです。
こういう状況は、政治家が指導力を発揮すべきところだったのです。
ところが、政治家は指導力を発揮するどころか、官僚の奴隷にようになってしまったのです。
大臣役の事務次官と、事務次官役の大臣という組み合わせが、非常に多かったのです。
これでは、官僚は、大臣など相手にしません。
今も昔も、官僚というものは、なるべく無能の政治家が、大臣になってほしいのです。
なぜかと言えば、この方がコントロールしやすいからなのです。
こういうわけで、老朽化した舞台装置があちこちに残っているのです。
夏祭りの時期ですね。
新住民の流入と、昔からの住民が、どうも、うまく調和できない。
そこで、町長は、夏祭りを実施し、新住民と、昔からの住民との調和を図ることにした。
町役場の役人に、小学校の校庭に、夏祭りの舞台装置を作らせた。
役人は、念入りな計画書を作り、一生懸命、舞台装置の完成に向けて努力した。
さらに、建設業者にも援助を頼んだので、立派な舞台装置ができた。
そのため、夏祭りは、大成功だった。
祭りの後の祝宴で、役人は、立派な舞台装置を解体するのが残念になった。
なにしろ、多大な労力と、多大な予算を使ったので、惜しいと思った。
そこで、町長に相談したら、
この立派な舞台装置を、改造して、成功の記念碑として残すことになった。
しかし、そうすると、小学校の校庭がなくなって困るので、
町御用達の建設業者に頼んで、
小学校のとなりの田畑を埋め立てて、新しい校庭を作らせた。
記念碑となった舞台装置は、維持費がかかったが、成功の記念碑として残したかった。
次の夏、祭りの季節がやってきた。
さすがに、また、小学校の校庭を使うわけにはいかないので、
今度は、中学校の庭に、立派な舞台装置を作ることになった。
最近、官僚と政治家は、利権の確保に忙しいですね。
もう、国民の利益を考えている余裕がなくなってしまいました。
こういう状況になると、国民の利益も考えてほしいと頼んでも、
官僚と政治家は、「そんなヒマなんか、ない。」と答えるでしょう。